PROFILE

 The Rainstick Orchestra (ザ・レインスティック・オーケストラ)は2000年に角田縛と田中直道が結成したプロジェクト。2013年に田中が逝去し、現在は角田のソロ・ユニット。

 角田はギターとピアノに手を染めつつ、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)やDeee-Lite(ディー・ライト)を経由してブラック・ミュージックへの関心を強めていき、その音楽的嗜好をソウル、ファンクから70年代のジャズ・フュージョン、60年代のジャズにまで広げていった。さらにドラムンベースやジャングルへ傾倒、プログラミングによる音楽制作に可能性を見出すようになる。

 青山のクラブ、蜂でDJとしての活動をスタートさせていた1999年。角田は1本のデモテープを当時ブレイク中だったベルリンのJAZZANOVA (ジャザノヴァ)に送ると、この楽曲を気に入ったJAZZANOVAがダブ・プレートでDJプレイ。この出来事に刺激された角田は、コンピレーション・アルバムへの楽曲提供を始め、創作活動を本格化させていく。

 同時期にThe Rainstick Orchestraの名の下で、Steve Reich (スティーヴ・ライヒ)を媒介として意気投合していた田中との制作活動に取り組み始める。2人は完成させた数曲を国内外のいくつかのレーベルに送付。英国最大のオルタナティヴ・ダンス・ミュージック・レーベル、Ninja Tune (ニンジャ・チューン)から「さらに曲を聴かせて欲しい」とのオファーが届き、2004年春に正式契約。4年あまりの歳月を経て完成させたファースト・アルバム『The Floating Glass Key in the Sky』(2004年)をワールド・ワイドで発表した。アルバムは世界的に高い評価を得て、2人は『Newsweek (ニューズウィーク)』日本版(2005年10月26日号)で「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれる。

 生楽器とプログラミングをシンクロさせつつ、現代音楽にも通じるポリフォニックなサウンドスケープを描き出したファースト・アルバム発表後、2人は次作をバンド編成による生演奏のみで作り上げていこうと画策。しかし作業を進める中で、生演奏したときに生じるリズムのズレや揺れ、その結果として自然発生的に醸成されるスウィング感を、あえてプログラミングで意図的に、必然的に表現したほうが面白いのではないかと感じ始める。

 アコースティック・ジャズのスウィング感を構成するリズムや倍音の揺らめき、ズレの仕組みを解明して、打ち込みに変換し落とし込んでいく。この偏執的で気の遠くなる作業に10年もの歳月を費やしたセカンド・アルバム『The Shape Of The Cloud』(2015)は、引きこもり世代のクリエイターが獲得した発想の転換から生み出された作品だった。10年間という破格のワールド・ワイド契約で作品を待ち続けたNinja Tuneからの再三の催促にも関わらず、満足のいかない作品はリリース出来ないと徹底的に拘った(結果Ninja Tuneとの契約は満了)2人の執念のアルバムであった。そしてまた、この作品はアルバム発表前に急逝した田中の遺志を刻んだ墓碑銘となった。

 田中の逝去後、角田はユニットの幕を閉じることを決意。しかし思案の末、強い意志のもとにThe Rainstick Orchestraを1人で継続させる決断へと舵を切り、創作活動を再開する。
そして2017年夏の新曲発表(デジタル)を皮切りに、The Rainstick Orchestra第二期の始まりとして現在サード・アルバムの制作に取りかかっている。